なくしてから気付くもの〜おばあちゃん編〜
お題「最近見た夢」
昨日、夢におばあちゃんが出てきた。
すこし若返っていて、ふっくらしていた。
20年くらい前の姿だろうか、仕事着だったえんじ色の服を着て、
私は今のままの姿で、おばあちゃんに抱きついた。
おばあちゃんは嬉しそうに笑ってくれた、
そんな夢。
祖母は、去年の10月に亡くなった。
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私が小さいころ、おばあちゃんとよく夜ご飯を食べた。
家はお店をやっていたので、平日に母や父とゆっくりご飯を食べることはできなかったから、おばあちゃんが相手をしてくれた。
私がご飯を残すと、「私を太らせないで!」と言いながら必ず食べてくれた。
だから、すこしふっくらしていた。
おじいちゃんが亡くなってから少しして、おばあちゃんは仕事を引退して、一人暮らしをするようになった。
私たちの住む家から5分程の距離に住んでいて、23年間一人だった。
それでも私たち家族は側にいるから、昼間はたまに顔を出しに来て、おしゃべりが大好きなおばあちゃんは気の済むまで話をして帰っていく。その明るい声、笑い声がよく聞こえてきた。
「私は100歳まで生きる!!!!」
そう、おばあちゃんはよく言っていた。
次第に私は大きくなり、学校や仕事があるので昼間に家にいることは、ほとんどなくなった。どんなにおばあちゃんと家が近くても、会うのは年に1〜2度くらいだった。
そんな日常が続いていたある日。
おばあちゃんが入院した。
すこし風邪をこじらせて、様子を見る為だった。そこからというもの、おばあちゃんは入退院を繰り返すようになった。
少し心配だったけど、私も仕事が忙しくて、「まあ大丈夫だろう」そんな気持ちだった。退院するたびに「やっぱり大丈夫だった」と、「心配することなかったーおばちゃんは100歳まで生きるもん」そんな風に、なぜか思っていたのだ。
ある日、母親から、おつかいを頼まれた。
おばあちゃんが桃を食べたいと言ってるから、持って行って、と。
大切な休みだから「めんどくさいなあ」と思いつつ、おばあちゃんの家に向かった。
ドアを開けて迎えてくれたおばあちゃんは、以前見た時よりかなり小さくなっていた。
私は正直言って、驚いた。
少し太っていたはずのおばあちゃん。私より大きいと思っていたおばあちゃん。
とても痩せていて、私よりも小さかった。
顔もシワが増えて、桃が入った袋を持った腕が弱々しかった。
”おばあちゃん、大丈夫なの?”
そう思ったけど、私は何を言っていいかわからなかった。久しぶりに会った私に微笑んで、「ありがとう」と1000円おこづかいをくれた。「また来るね」そう言って、私はすぐに家に戻ってきた。
それから、何度かおばあちゃんの家に行った。
買い物にも頻繁に行けなくなったので、おばあちゃんが欲しいものを時々持って行った。少しボケも入ってきたのか、急に炊飯器の使い方がわからなくなって、助けを求めてきたおばあちゃんに付き合った。その度に、私に1000円をくれた。
それから私も、どこか出かけたらおばあちゃんにお土産を買うようになって、渡した。おばあちゃんは、たまに奮発したおこずかいをくれた。
おこずかいをもらいにいっているわけではないのに、おばあちゃんはどんなに短い時間しか顔を出していなくても、おこずかいをくれた。
なんだかいつも、悪い気がした。
だから少し、おばあちゃんの家に行きにくくなった。おばあちゃんに無理をさせてしまっている気がして、申し訳なく思って、理由をつけては行かなくなった。
それだけじゃない。
きっと弱っていくおばあちゃんを見るのがこわかった。
悲しくて、逃げてしまった。
今思えば、私に来て欲しくて、おこずかいをくれていたのかもしれない。
私は大人になったつもりでも、おばあちゃんにとってはいくつになっても孫だ。
でもそのときは、そんな風には思えなかった。
そこから何ヶ月か経った時、おばあちゃんはまた入院した。
お医者さんに「あと1ヶ月くらいですね」と言われた。
簡単に言うなあ。
両親にお見舞いに行くように言われて、初めておばあちゃんのお見舞いに行った。
おばあちゃんの家で会ったときから、数ヶ月しか経ってないのに、おばあちゃんはさらに小さくなっていた。もう笑いもせず、話もしなかった。目には気力がなくて、腕にはチューブが繋がっていた。私のことは忘れてしまったかのように、おこずかいをくれることはなかった。
訳がわからなかった。どうして?100歳まで生きる、と言っていたおばあちゃん。
それからは、できるだけお見舞いに行くことにした。
4月、病室から桜が見えた。
「きれいだね」と話しかけたけど、返事はなかった。
日に日に、小さくなっていく。
腕や足は、驚くほど細く、痩せていった。
本当はすごくすごく悲しかった。できることなら、弱っていくおばあちゃんを見たくなかった。だけど今度こそ逃げたら、一生おばあちゃんに会えなくなる気がして、時間を作って会いに行った。
回数を重ねると、おばあちゃんは時々笑ってくれるようになった。お見舞いに来た私の顔を見ると、顔が明るくなって喜んでくれた。今でもその顔を鮮明に覚えている。
私もとても嬉しかった。
おばあちゃんに似合いそうな、かわいい靴下見つけたら、買って持っていった。
あと1ヶ月、
そうお医者さんに言われていた月日は過ぎていた。
8月、87歳のお誕生日には、お花とメッセージカードをプレゼントした。それを手に持って、二人で一緒に写真を撮った。
その写真を見ておばあちゃんは「歯がなくて嫌だ」と言っていたけど、私は「そんなことない、すごく綺麗に写ってるよ」と言うと、照れたように微笑んでくれた。
入院してからほとんど自分から話しをしなかったおばあちゃんが、その日はこんなことも言った。
「誕生日だから何人も会いに来たけど、プレゼントをくれたのはおまえだけだ」
そう、皮肉を言った。
それがすごくおばあちゃんらしくて、昔のおばあちゃんに戻ったみたいで、とっても嬉しかった。
細い腕をさすると、おばあちゃんは、温かかった。
「また来るね」と言うと、「気をつけてね」と返してくれるようになった。
それから2ヶ月後。
自宅療養が始まって、まもなく。
息を引き取った。
自宅で寝ようとした時だった。
容態が急変して救急車で運ばれたが、戻ってきたおばあちゃんは、つめたくなっていた。
もう目をあけることのないおばあちゃん。
もう笑ってくれることのないおばあちゃん。
涙が止まらなかった。
もう少し、一緒にいられると思った。
もう少し、何かしてあげたいと思った。
だけど、もう叶わない。
本当にごめんね。
おばあちゃんが元気なうちにもう少し話しをすればよかった。
一緒にご飯を食べたり、買い物したり、旅行にも行けばよかった。
結婚式に参加してもらいたかった。
ひ孫がみたいと言ってたから、見せてあげたかった。
おばあちゃんが望んでること、もう少し聞いてあげればよかった。
本当に、本当にごめんね。
もう、叶うことはないけれど、私は、最期に少しだけでもおばあちゃんとの時間を持つことができてよかった。
逃げなくて、本当によかった。
おばあちゃんの笑顔を何度も見ることができたから。
あたたかい腕の感触もまだ覚えているし、笑っているおばあちゃんと二人の写真を残すことができたから、本当によかった。
棺桶には、おばあちゃんに大好きな気持ちを手紙に書いて入れた。
きっと天国で、おじいちゃんと読んで、喜んでくれてると思う。
本当にありがとう。
この文章を書いている間、私は涙が溢れてきた。
まだこんなにも涙がでるんだと思うと、すこし驚いた。
もうおばあちゃんはいないけど、なんだかいつも側にいてくれてる気がする。
どこかで元気に過ごしている気がする。
そんな気がするんです。
このブログを読んでくださっている皆様。
大切な人に優しくできていますか?
その人との時間を大切にしてください。
今は実感がわかないけど、限りある時間です。
いつそのときが来るかわかりません。
私ももっともっと、大好きな人には大好きと伝えて、大切な人のことを大切にできる人間になります。
なくしたときに気づくものは、後悔も含めてたくさんあるけれど、私はおばあちゃんのおかげで、人のことを想う気持ちが大きくなりました。
本当にありがとう。
大好きなおばあちゃん、
また夢に出てきてね